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中国けじめ、途上国では、これまで残念ながら爆発的に普及した工業製品がなかったため、普及に不可欠なネットワークが構築されなかったのである。
この関係はにわとりと卵の関係に似ていて、ネットワークがなければ、普及はないし、普及がなければネットワークも構築されないことになる。
したがって、途上国の技術基盤と産業間ネットワークの現状から見て、普及可能な技術を最優先で移転することが求められよう。
さらに第二、第三の段階の失敗の原因としては、最近の日本企業の積極性のなさが挙げられよう。
移転技術が普及するためには、それが、産業にとり込まれ、利益を生み出すことが必要不可欠である。
そのための第一段階は、中国と外国企業の合弁会社の設立である。
米国もドイツも中国企業との合弁会社の設立にきわめて積極的であるのに対して、日本企業は中国企業との合弁にはまったく消極的である。
その理由は、かつて日本企業が中国に進出して手痛い目にあった経験がいまだに残っているからであろう。
たとえば、新日鍼か中国側からの要請で上海に建設した宝山製鉄所は、利益を上げるどころか、最終的には膨大な赤字を出す結果になってしまい、それ以来、日本の企業人たちから「中国の仕事はもうからないからもうやりたくない」という言葉がしばしば聞かれるようになった。
次に普及に至らない原因として、中国側の要因について考えてみる。
前に述べたように、移転技術が発展するためには、一号機を元に二号機、三号機を途上国の自力で作れる基盤技術が必要不可欠である。
しかし残念ながら、その点で中国の基盤技術はいまだ弱いといわざるを得ない。
その原因はいろいろと考えられるが、一つは中国の大学の工学技術教育が充分ではないことが挙げられよう。
その結果、工学技術の能力が高いにもかかわらず、それが充分に生かされていない若者が多い。
また、もう一つの原因は、近年の中国人の利己主義にあると考える。
たとえば、中国の技術者あるいは工学者に中国にとって有益な技術情報を与えたとしても、これが中国国内に拡がることはまず考えられず、ほとんどの場合、その個人の机のひきだしの中にしまわれてしまう。
中国の現状では個人が自分自身の利益を最優先に考えざるを得ないことに向けては理解できるが、これでは技術の発展は望むべくもないことも明らかである。
このような問題は中国の問題であり、われわれがとやかくいえる問題ではないが、前者の学力不足の問題に関しては、日本の大学で学んでいる中国の留学生にしっかりした工学教育を提供して、卒業後必ず中国に戻ってもらうことが重要であり、後者の問題に関しては、日中間の相互理解と信頼関係を深める中で、利己主義が科学技術の発展のためには、いかに大きな阻害要因になるかを理解してもらうしかないのではないかと考える。
これらから明らかなように、中国への技術移転がうまくいかない要因は単に技術だけの問題ではなく、複雑多岐にわたっており、根も深いが、最大の原因は、日中の人々の間で相互理解がいまだ進んでいないことである。
中国人と日本人は肌の色も近いし、共通の文字も使っているので非常に親しいように思われるが、実はものの考え方において、ある意味では欧米人との間以上にギャップがあることを、しばしば私自身も感じている。
したがって、克]の意味で技術移転が成功するためには、個人レベルおよび組織レベルで相互理解を深めるために、長期間にわたって最大の努力をすることが最も肝要なことではないかと私は考える。
これまで、技術移転に関しては、通産省や外務省が中心になって、巨額の税金を使って、国レベルの移転が数多く試みられたが、前述したように成功例はきわめて少ない。
一方、予算規模は桁違いに小さいが、自治体レベルでの技術移転は比較的成功例が多い。
その原因は国家レベルよりも、自治体レベルのほうが、より個人レベルでの交流に近く、親密な交流が長期間持続でき、その結果、日中の相互理解と信頼関係が深まるためではないかと考える。
また、企業レベルの技術移転に関しても、同様に大企業から大企業への技術移転よりも中小企業から中小企業への技術移転のほうが成功率は高いと考えられる。
その理由は自治体レベルのほうが成功率が高いのと同様である。
また、日本の技術革新と経済発展が中小企業の存在なしにはあり得なかったことを考えても、中国の中小企業への技術移転が重要であることが理解できるだろう。
技術移転における信頼関係の重要性日本から途上国への技術移転において、人と人とのつながり、すなわち信頼関係はなによりも大切であることを述べた。
徐先生のこと清華大学の徐旭常先生と知り合ったのは、一九八六年に北京で行なわれた第一回石炭燃焼シンポジウムのバンケットにおいてであった。
その時の徐先生は、たいへん上品で物静かな中に知的ポテンシャルを秘めている、という印象の方であった。
たまたま席が隣どうしだったこともあり、話かはずみ、石炭のこと、研究のこと、中国のことと話が発展し、日本人と中国人という感覚ではなく、同じ研究者どうしとして、きわめて実り多い会話を交わすことができたと記憶している。
その後、徐先生は、当時私か住んでいた群馬県の前橋市まで訪ねて下さり、その後の長いお付き合いがはしまった。
拙宅に来られた時、日本の電気製品が買いたいということなので、近くの電器店にお連れしたが、その製品の豊富さに驚かれた様子であった。
けじめ、徐先生は英語がお上手なので、当然欧米での留学経験があるものだと思っていたのであるが、驚いたことに外国留学経験は一度もないということであった。
中国で大学教授になるためには、米国あるいは日本に留学することが必要条件のようにもなっているが、徐先生はまったく留学経験なしに清華大学の教授になられたのである。
その後、先生とは手紙のやりとりが続き、やがて一九九〇年に再び中国を訪れる機会が与えられた。
この時は、第1章で述べたように、酸性雨研究グループの一員として、酸性雨のメッカ重慶を訪れたのだった。
そこで、私は日本では見たことのない、すさまじいまでの大気汚染の実態を見て、これを自分の専門の化学工学の技術で何とかできないものかと真剣に考えたのであるが、答えは簡単には見つがらなかった。
そして、重慶訪問の後北京に行き、市の北西部に位置している清華大学をはじめて訪れた。
徐先生以下、研究室の方々がにこやかに私を迎えて下さり、久しぶりの再会となった。
さっそく先生の研究室を見せていただいた。
訪問する前は、中国の大学の研究室ということであまり立派なものは期待していなかったのだが、予想に反して束大の研究室に勝るとも劣らない立派な実験装置と機器が並んでいた。
聞くところによると、徐先生の研究室は国家重点研究室ということで、特別に大きな研究費が与えられているということであった。
それにしても、その実験装置のスケールの大きさには、圧倒されてしまった。
その後、先生は私をわざわざ北京郊外の自宅まで招いて下さった。
先生のお宅は床面積五〇平方メートル程度の古いマンションであったが、書斎だけは広く、窓から天安門まで見渡すことができた。
その晩は、徐先生のご家族といっしょに奥様の手料理をいただいたが、会話の端々から、徐先生が夫としても、父親としても、家族からたいへん尊敬されていることがよくわかった。

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